ココロを整える

私がわたしに感動する人生を。

あなたが生きている。そこには必ず感動があります。息をする、動く、考える、感じる。自分の全てが愛おしく思える人生にしませんか?

私はまだ母を許せていなかった・私のあらすじ

こんにちは

心理カウンセラーのゆーみんです

今日は爽やかで涼しい梅雨の合間となりました

 

今回は、数年前に亡くなった母のことを綴りました

 

f:id:hugme2020:20200620181534j:image

 

 

 

お弟子仲間とのデモカウンセリングで、自分がクライアント役になった時に気付いた

 

私は家族のことを話す時に、感情を抑えて、淡々と説明しているなと

 

でも

母の話しをしているときに、何度か感情が動いた

 

あ、私はまだ

母のことを消化し切れていないな

 

お仲間からも

ブログに吐き出すことを薦められた

 

カウンセリングの翌朝

母への怒りや反抗心

なぜ私が武闘派になってしまったのかの理由

そういったものを

手放すワークをした

 

 

でもまた、今日

母のことが浮上してきた

 

私は母をまだ許せていない

 

私の記憶にある母は

父親と

父親の職業に振り回されて

家族から奴隷のように扱われ

 

対外的にも気を使い

 

お人好しで

騙されやすく

お調子者で

 

私に母が出来なかったことを

させようとして

 

男を立てろ

友達を選べ

仕事を手放すな

大学に行け

 

早く帰宅しろ

外泊するな

留学はダメだ

 

女である私の行動を

色々と制限していた

 

反抗して

こんな家に生まれたくなかった

今からでも変えてくれ

私の人生を変えてくれ

そうなき叫んだ私を平手打ちした母

 

父親に

夜中に外に出されても

じっと黙って耐えていた母

 

趣味は全て

父親の職業の利益となることを基準に選んでいた母

 

晩年

退職して在宅するようになった父親に

金銭を管理され

外出も監視されていた母

 

弱々しい声で

お金を貸してくれと

何度も懇願してきた母

 

手術後のせん妄症で気が狂い

人間扱いされていなかった母

 

認知症になり

自分1人では

どこにも行けなくなってしまった母

 

あんなに純粋に

父親に家族に

地域に尽くしていた母

 

母の人生は何だったのか

 

女として

母は幸せだったんだろうか

 

 

いつの頃からか私は

母の追体験をするようになっていた

 

母がやりたかったこと

母が望んでいた家庭像

 

私は大人になっても

いったい自分が何をしたくて

どう生きたいのかが

まるで分からなくなっていた

 

母の人生を背負って

母のために代理で

望みの人生を送ろうとしていた

 

 

 

私は病んだ母から逃げた

 

情けなくて

見ていられなかったから

 

気が狂って

大声でわめき散らし

手を付けられず

拘束服を着せられ

私の顔に唾を吐いた

 

こんな姿を誰にも見せられない

もうこの人を連れて

一緒に山籠りでもしようかと思った

 

母の人生は

こんな姿を人目に晒すためにあったんだろうか

 

本当に

情けなくて

悲しくて

つらかった

 

そして

死に目にも会えなかった

 

母は一人で静かに

逝ってしまった

 

私はそんな母を

許せていなかった

そして

母を見捨てた私を

許せていなかった

 

だから今日

手放した

もう良いんだと

 

母はもう死んだんだ

 

もう母の人生を

背負う必要はないんだと

 

わたしは私の生き方を

すれば良いんだと

 

もう自分を可哀想がるのは

やめよう

 

母を許し

自分を許し

感謝だけを残そう

 

明るさと朗らかさ

親しみやすさ

 

母にはもっとたくさん

もらっているはずなのに

あまり思い浮かばない

 

ああ、そうだ

父と二人で培った

お金だけではない

人望と運と豊かさをもらった

 

器の大きさと

芯の強さも

 

 

 

ママ

ありがとう

 

今度こそ手放そう

 

自分らしく生きることを

許そう